論文 - 中村 安宏
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中村安宏
アルテス リベラレス(岩手大学人文社会科学部紀要) ( 72 ) 33 - 41 2003年06月
その他(含・紀要) 単著
尾藤二洲についての論考を受けて、文化保存にかかわる天皇観・皇統意識の幕府儒者内での広がりについて解明しようとした。その結果、林述斎や佐藤一斎にとって皇統連続は、日本が伝統および外来の文化文物の保存という点において優れた場所であることを象徴的に示すものであり、今後もこれに務めていくべきことを示す指標であったことを明らかにした。
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中村安宏
日本語学 ( 明治書院 ) 22 ( 6 ) 4 - 5 2003年05月
学術誌 単著
日本人の中国認識は江戸時代において18世紀半ばを境に大きく変化する。この時期日本では、荻生徂徠が奨励したこともあり、各地に漢詩のサークルがむすばれ、中国の盛唐詩をまねした詩を作るなど、中華崇拝が流行するとともに、それへの批判者も登場してくる。この中華崇拝批判が日本の思想にどのように表れ、どのような変化をもたらしたのかを概論した。
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江戸時代人と喪祭・霊魂
中村一基,宇佐美公生,藪敏裕,木村直弘,中村安宏,野坂幸弘,楊朝明
科学研究費補助金基盤研究(B)(2)「祖霊祭祀の日中比較研究」研究成果報告書 57 - 65 2002年03月
その他(含・紀要) 共著・分担
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尾藤二洲の天皇観・皇統意識
中村安宏
フィロソフィア・イワテ ( 岩手哲学会 ) ( 32 ) 25 - 36 2000年11月
学術誌 単著
後期水戸学や国学と対峙・対抗していた朱子学者は、天皇をどう捉えていたのか尾藤二洲を取り上げて解明しようとした。その結果、二洲は、皇統を日本の君臣関係の優秀性を示すものとしていた後期水戸学などとは異なり、道徳について普遍的な視座を保ちつつ、文化保存にかかわる天皇観・皇統意識をもっていたこと、このような天皇観・皇統意識は世界のなかにおける日本の独善的な優越性の主張と結びつくものではなかったことを明らかにした。
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1998年の歴史学界-回顧と展望-
中村安宏
史学雑誌 ( 史学会 ) 108編 ( 5 ) 143 - 146 1999年05月
学術誌 単著
日本近世の思想の項を分担し、1998年に発表された主要な著訳書・論文について紹介・論評をした。当年にあっては、分立している、いわゆる頂点思想家研究と民衆思想研究とを架橋する試みが地道に継続されていること、分野や接近の仕方を問わず思想や思想家の位置や意義を、藩や地域とのかかわりで解明しようとする論考が目立つことなどを指摘した。
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室鳩巣と朱子学・享保改革-科挙導入反対論を中心に-
中村安宏
日本思想史研究 ( 東北大学文学部日本思想史研究室 ) ( 31 ) 31 - 44 1999年03月
その他(含・紀要) 単著
日本近世の儒学の意義を政治改革とのかかわりから探る研究の一環として、鳩巣の意見書について検討した。その結果、鳩巣の、「不学」である武士を対象にし、文字や講論の場での講究よりも本性の自然な発現を重視する変容朱子学にもとづく提言が、享保改革の人材登用策に活用されていたことを明らかにした。
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中村安宏
日本思想史学 ( 日本思想史学会 ) ( 30 ) 121 - 138 1998年09月 [査読有り]
学術誌 単著
同時代人の赤穂浪士への感情に共感しつつ朱子学を布教しようとした鳩巣の変容朱子学の構造を解明した。鳩巣は、博識に流れる当時の儒者がもっていた「不学」な武士層などへの軽蔑意識を克服して、「不学」や「下賤」な人々の節義も評価していること、その際、理への明晰さを求める朱子学本来のあり方からはずれて、気概や気魄という、実践に向かう気のあり方をとりわけ重要視している点を指摘した。
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中村安宏
玉懸博之編『日本思想史-その普遍と特殊』 ( ぺりかん社 ) 273 - 289 1997年07月
その他(含・紀要) 単著
従来、独自性を見出しにくいとされてきた鳩巣の朱子学の性格について、彼が朱子学を社会にいかに普及・適応させようとしているかという点に注目して検討した。彼は一方では朱子学を、家康に採用されたものだと説いて権威づけするとともに、他方では当時の鬼神とりまく世界に根ざしつつ、そのなかでの「我」確立の思想を朱子学に材料を取りつつ説くことにより、朱子学を世俗化していた点を指摘した。
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前田勉著『近世日本の儒学と兵学』
中村安宏,高橋禎雄
日本思想史研究 ( 東北大学文学部日本思想史研究室 ) ( 29 ) 46 - 52 1997年03月
その他(含・紀要) 共著・分担
近世国家・社会の支配思想として兵学を挙げ、それとの関係で朱子学の意義を考察した同書について、朱子学把握にかかわる部分を中村安宏が、兵学把握にかかかわる部分を高橋禎雄が担当し書評した。中村は、兵学と朱子学との対立から近世思想史を捉えようとする著者の図式の明快さを評価するとともに、朱子学の拠って立つ歴史的・社会的・精神的基盤への考察の手薄さなどを問題にした。
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佐藤一斎の教化論の展開-「言志四録」を読み解きながら-
中村安宏
日本思想史研究 ( 東北大学文学部日本思想史研究室 ) ( 28 ) 24 - 36 1996年03月
その他(含・紀要) 単著
一斎の短歌「物事は己が心の照り一つ、もろ人の教へ、もの人の道」を発掘し、そのなかの「もろ人の教へ」に注目するとともに、「言志四録」の稿本分析を通じて彼の教化論の展開を追い、彼の思想を江戸後期の思想史のなかに位置づけようとした。その結果、一斎は、誰もが実践し得る心学の立場から、博学や考証学など文字上の学のもつ差別性を問題にしている点、彼の思想の本質は幕府教学の主流に対して対抗しようとしたところに見るべきである点を示した。
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中村安宏
日本思想史学 ( 日本思想史学会 ) ( 27 ) 97 - 108 1995年09月 [査読有り]
学術誌 単著
『弘道館記』作成過程の意見対立に注目して、一斎と後期水戸学者の思想構造上の相違を解明した。その結果、道徳実践の拠り所が、一斎では自己の性にあるのに対し、後期水戸学では神格や人格への報恩意識にあること、一斎にとって「皇祖」の存在は、日本にも道が存していたことを証する指標に過ぎず、国家統合の問題と結びつくものではなく、そこに後期水戸学とは異なる「皇祖」解釈があった点を明らかにした。
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藤原惺窩と林兆恩-『大学要略』をめぐって-
中村安宏
文芸研究 ( 日本文芸研究会 ) ( 138集 ) 10 - 20 1995年01月 [査読有り]
学術誌 単著
従来、惺窩が大きな影響を受けたと言われてきた中国明末の三教一致論者林兆恩との思想的相違を見ることによって、惺窩の思想の特質を解明した。その結果、惺窩は民の道徳的自発性を念頭に置いていないこと、そのため道や理についても林兆恩が身分の上下を越えての普遍性を説くのに対し、惺窩はあくまでも国際的に普遍的な方向で考えていることを明らかにした。
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幕府儒者・河田迪斎の思想的位置
中村安宏
日本思想史研究 ( 東北大学文学部日本思想史研究室 ) ( 26 ) 14 - 26 1994年03月
その他(含・紀要) 単著
ペリーとの条約交渉の書記を務め、幕末期に攘夷一辺倒の論に反対した幕府儒者・河田迪斎の思想を分析紹介した。迪斎の思想の基盤にあったのは、ひとつには古賀侗庵が積極的に唱えて学問所内に浸透し、ほかの幕府儒者も共有していた変通の理の思想であり、ひとつには師である佐藤一斎から継承した万国に普遍的な道の思想であったことを明らかにし、幕府儒者内での思想継承の一端を解明した。
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『言志耋録』の成立過程-幕府儒者・佐藤一斎の位置-
中村安宏
日本思想史研究 ( 東北大学文学部日本思想史研究室 ) ( 25 ) 1 - 17 1993年03月
その他(含・紀要) 単著
一斎の主著である「言志四録」のひとつ『言志耋録』の稿本分析を通じて、幕府儒者内における一斎の独自な位置を解明した。その結果、一斎は、朱子学を雑学へと変形させていた古賀侗庵的な立場が主流となっていくなかで、陸王学と折衷しながら心の修養の学を求めていたこと、軍艦を導入しようとする侗庵の主張が幕府儒者内でも主流となっていくなかで、西洋の模倣には批判的であったことを明らかにした。
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中村安宏
源了圓・玉懸博之編『国家と宗教-日本思想史論集』 ( 思文閣出版 ) 395 - 413 1992年03月
その他(含・紀要) 単著
師である佐藤一斎の開かれた思想からどのようにして訥庵の攘夷思想が形成されてきたのかを考察するとともに、その攘夷思想の特質を解明した。その結果、国家中心の思想が、訥庵をして師一斎の人間尊重の思想を捨てて転向させることになりつつも、彼は一面では師の思想を受け継ぎ、攘夷のイニシアチブを為政者側にではなく民の側に求めていったことを明らかにした。
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『愛日楼文詩』の考察-ある一大名により結ばれた一斎像-
中村安宏
陽明学 ( 二松学舎大学陽明学研究所 ) ( 3 ) 100 - 114 1991年03月
学術誌 単著
一斎の詩文集『愛日楼文詩』について、それを編集した若桜藩主池田定常が、一斎の稿本中からどのような文を採取し、どのような一斎像を結んでいるかを明らかにしようとした。その結果、世間の「陽朱陰王」(陽明学を信奉しながら表向きは朱子学を装っている)という悪評に対して、大学頭林述斎を羽翼するとともに、朱子学に対して誠実かつ公平である一斎を描こうとしている点を示した。
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佐藤一斎の「公平之心」
中村安宏
日本思想史研究 ( 東北大学文学部日本思想史研究室 ) ( 23 ) 13 - 27 1991年03月
その他(含・紀要) 単著
一斎の思想の核心と見られる「公平之心」に注目し、その内容を分析することを通して、一斎後年の思想を解明した。「公平之心」はそれぞれの自己に即して工夫を行う個別的な自己(他者)を認め尊重する心であるとともに、学派の相対化を実現する心であり、とりわけ陽明学への排撃が強まる時期にあって、修養の滋養源のひとつとしての陽明学を弁護し、その定着を図る心であったことを明らかにした。
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林信敬と林述斎の位置-正学派朱子学との関係より-
中村安宏
文芸研究 ( 日本文芸研究会 ) ( 124集 ) 45 - 54 1990年05月 [査読有り]
学術誌 単著
「寛政異学の禁」をめぐって、幕府の教学担当者間に対立があったことを明確にしてその対立の意味を考察し、「異学の禁」について再検討した。当時の大学頭林信敬・林述斎は、禁令を画策した朱子学者に対し、人材の育成や、現実社会に具体的に対応するための広範な学問を求める立場から批判的であり、このような彼らの思想は「異学の禁」体制を空洞化するものであった点を指摘した。
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史料紹介・佐藤一斎の講釈用『大学』書入
中村安宏
日本思想史研究 ( 東北大学文学部日本思想史研究室 ) ( 21 ) 19 - 32 1989年03月
その他(含・紀要) 単著
一斎の自筆書き入れ本を発掘翻刻し解説を施したもの。この史料は、中国儒学者の言説の引用が多い一斎の経典注釈書のなかにあって、彼の生の声を聞くことができる点で貴重であること、一斎の門下生への講釈の内容を知ることができ、江戸後期から末期にかけての陽明学運動の一端を明らかにすることができる点で貴重であることを指摘した。
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中村安宏
日本思想史学 ( 日本思想史学会 ) ( 20 ) 71 - 82 1988年09月 [査読有り]
学術誌 単著
これまで明らかにされていなかった一斎の青年期の思想について、新史料を発掘しつつ解明した。その結果、一斎は朱子学から陸王学へと関心を移していったこと、その過程で道徳的主体性を万人へと拡大し、また学派を相対化する立場を確立していったこと、その立場は朱子学という一つの学派によって上から教化しようとする「寛政異学の禁」の思想に対抗するものであったことを示した。